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手帖月報1-1
ほとんど需要は無いと思いますが、潮出版社版『ある夢想家の手帖から』の月報を紹介しようと思います。

沼正三『ある夢想家の手帖から』は、これまでに都市出版社、ニトリア書房、潮出版社、太田出版から出版されています。

比較的入手しやすいのは1998年に太田出版から発行された『集成 ある夢想家の手帖から』上下本ですが、これも現在は絶版になっているようです。しかもこの「集成」はとても不満足な内容のもので、実質は「集成」ではなく単なる「抜粋」です(それでも出ただけありがたいですが)。

決定版はなんといっても、1975年から76年にかけて潮出版社から出版された全6巻のものですが、現在入手困難で古書店でも高値がついています。

「沼正三関連書籍リスト」

潮出版社版の本体も入手困難ですから、ましてその月報(しおり)は、志ある人の目にも触れる機会は少ないのではないでしょうか。

しかし、この月報の内容はとても面白いものですし、執筆者として選ばれた顔ぶれだけを見ていても、当時の沼正三をめぐる状況を垣間見ることができます。

ひとつ問題は著作権です。これについてはこのように考えました。この月報に掲載された文章は、執筆者の単行本などに収録される可能性も少なく、したがってこのまま埋もれてしまう可能性が高いものと思われます。それはあまりにも惜しく、ここでこのような形で紹介することは執筆者の意図にも適うものではないかと(勝手に)想像しました。しかし、著作権に配慮して可読性ぎりぎりの精度の画像の掲載のみにします。

このような考えからの紹介ですので、執筆者の権利を害する意図は毛頭なく、権利者から「掲載は困る」とのご一報があればただちに削除いたします。どうかご理解くださいますようお願いします。

ペンネームの由来については、『手帖』本文で沼正三自身が述べています。

 しおり
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 『ある夢想家の手帖から1金髪のドミナ』(1975.12.25、潮出版社)

 ●『ある夢想家の手帖から』刊行に寄せて(松山俊太郎)
 ●美味と毒素との融合(田中美代子)
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松山俊太郎さんは、インド学者、幻想文学研究家。ウィキペディアから引いておきます。

>略歴
明治時代の茶人・松山吟松庵の孫として東京市芝区三田綱町(現在の東京都港区三田)に生まれる。両親は開業医。1943年、東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)入学。1945年、趣味の手榴弾の分解作業中に爆発をおこし、左手の手首から先を失う。 留年と浪人を経て、1951年、東京大学文科2類(現在の文科3類に相当)に入学。同級生に阿部良雄や石堂淑朗、種村季弘、吉田喜重などがいた。1953年、文学部印度哲学科に進学し、サンスクリット文学(サンスクリット語)を専攻。同大学院修士課程(印度哲学専攻)修了。 サンスクリット学者として蓮を研究。その研究の一端は、『蓮と法華経-その精神と形成史を語る-』(第三文明社)として発表されている。 また、ボードレール『悪の華』原書の初版および再版を日本でただ一人所有しているなど稀覯書の蒐集家としても知られ、小栗虫太郎や夢野久作など、戦前の探偵小説の初版本等も所有している。 著書に『球体感覚御開帳』(冥草舎)、『インドを語る』(白順社)など。訳書に『タントラ』(平凡社)などがある。澁澤龍彦との交遊関係は有名。巌谷國士・種村季弘・出口裕弘との共著に『澁澤龍彦を語る』(河出書房新社)。

>近年の活動
現在、西新宿の常円寺において、上杉清文の「福神研究所」主催による『法華経講義』と題した公開連続講義を続けている。講義はすでに7年間続けられており、いずれ著作にまとめられる予定とのこと。
(ウィキペディアより)

私は今まで存じ上げませんでしたが、とても魅力的な方のようですね。

月報の文章はちょっと取っつきづらいですが、沼正三というペンネームについて、「正三」は大正三年生まれを意味しているのではないかと想像していて、なかなか面白いですね。実際には、倉田卓次さんは1922(大正11)年生まれ、天野哲夫さんは1926(大正15)年生まれですから、この想像ははずれていることになりますが、こうして想像してみること自体が面白いです。

ペンネームの由来については、『手帖』本文で沼正三自身が述べています。

田中美代子さんは、三島由紀夫についての評論を書いている人のようです。

>田中美代子(たなか・みよこ)
文芸評論家 
1936年、秩父市に生れる。早稲田大学時代、パスカルなどフランスのモラリスト文学に惹かれ、文芸批評を志す。1971年より5年間、三島由紀夫全集を編集。著書『ロマン主義者は悪党か』『天使の幾何学』他。
(三島由紀夫文学館サイトより)

この文章の中では、前半の、

>観念というものが真の力をもつためには、それ自体の生理、それ自体の肉感をそなえていなければならぬ。

というフレーズが気に入りました。後半の差別云々については、私には逆説を弄んでいるように見えます。文章の裏には、おそらくこのころ盛んに行われたヒステリックな差別反対運動に対する抵抗感があるような気がします。そうした運動の標的にされることから身をかわしつつ、沼正三を自身の側に惹きつけようと、「差別」という語を故意に抽象的なレベルに引き上げて使っていると思いました。

したがって、「沼正三氏は、むろん堂々たる差別擁護論者である」というフレーズも、かなり頭の中で変換して読まなければならないのではないでしょうか。

沼正三の生理・身体の中にはマゾヒズムという差別の根がある。それを無いものと否定することはできない。巷の差別反対論者はいわゆる「言葉狩り」などをして差違そのものが無いかのように主張するが、沼はそうではなく自身の内にあるマゾヒズムという生理を、堂々と認めることから出発しているのだ。

・・・とそういうことではないかと思います。

手帖月報1-2
手帖月報1-3
手帖月報1-4
墓碑銘

『週刊新潮』2008年12月18日号「墓碑銘」というコーナーに、天野哲夫さんの追悼記事が掲載されていました。

タイトルは「戦後最大の奇書『家畜人ヤプー』に重なる天野哲夫さんの奇嬌(ママ)」。

編集部によって書かれた記事で、康芳夫、倉田卓次、新潮社校閲部の同僚、岩波剛の各氏に取材をしたものと見られます。

『家畜人ヤプー』と『手帖』を書いた沼正三の正体は天野哲夫氏であるという認識で書かれています。まあ、今さら驚きませんけれど(笑)。

私の意見は、「康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話」」ほか一連の「沼正三」カテゴリーをご覧下さい。

それはともかくとして、新潮社校閲部での天野さんの横顔などが垣間見られて、なかなか面白い記事になっていると思います。

この記事の存在を知ったのはウィキペディア「沼正三」の項でした。

>「沼正三」の正体を確実に知る人物の1人である『家畜人ヤプー』の最初の版である都市出版社版の発行に携わった康芳夫は、1974年の著書『虚業家宣言』で、『家畜人ヤプー』の一部は沼正三の許可を得て、天野が執筆したのだから、天野哲夫説は完全な間違いではないとしている。さらに同書の中で、沼正三は、文壇とは一切関係ない人物で、1974年時点で40代、某官庁の高級官僚であると人物像の一端を明かしていた。しかし、2008年に天野哲夫が死去すると、これを翻して、生前の天野が主張していたように、やはり天野が沼であり、別のペンネームを用いたのは他の人たちの助言を取り入れて執筆したからだとしている[2]。
 [2]「墓碑銘」『週刊新潮』2008年12月18日号、新潮社
(ウィキペディアより)

康芳夫氏が、前言を翻したこと、つまり嘘をついていたことが簡潔にまとめられています。

ただ、康氏が「正体を確実に知る人物の1人」というのは疑わしいと思います。というのは、「康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話」」にも書きましたが、康氏が沼さんないし天野さんと知り合ったのは、既に『奇譚クラブ』での連載が終わった後ですから、執筆の状況を直接に知っているわけではないはずだからです。
女主人の鞭

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「民族としての押しの強さ」は、アメリカ人の青年が、シンガポールで鞭打ち刑に処せられたことがアメリカで話題にされた、というニュースを素材に、アメリカ人には日本人にはない民族としての押しの強さがある、と述べたエッセイです。

> 私は先の戦争中、つまりもう五十年も前だが、鉄道隊の将校として台湾南部に駐屯していた時、むち打ち刑を見たことがある。村に駐在する警察官−−私たちには慇懃だったが、国家権力の代表で「大人」と呼ばれ、恐れられていた−−の官舎を夜不意打ちして覗いたら、村人三人を床にひざまずかせ、露出させた背中をむちで叩いていた。今も目に残る印象的な場面で、こっちもどぎまぎしたことを忘れない。(P.305)

『手帖2』にはこんなくだりがあります。

>米国のある州には今でもむち刑が残っていると聞くが、その他の文明国は英国を除いて、いずれも十九世紀の間にむち刑を廃止した(追記。南ア共和国やシンガポールには今も残っている)。(『手帖2』P.24)

> もっともこれは法律で定められたことだけについてのお上品な議論で、私刑としてのむち刑がいかに公然と行われていたかは、陸海軍初年兵の経験ある者には今さらいうまでもない。(『手帖2』P.25)

また、「民族としての押しの強さ」のこんな言い回し。

> このむち打ち刑(caning)は英法系諸国での破廉恥罪の付加刑としてシンガポールに継受されたのだという。今回アメリカがいきり立ったのは、昔の植民地人から昔の主人側だった白人がむち打たれるのが癪に障ったのだろう、という穿った見方が深層心理的には真相を射当てていたかも知れないが、(P.306)

「主人」「白人」という倉田さんの言葉選びの癖のようなものに、沼さんと共通のものを感じてしまいます。

「むち打ち刑」に「(caning)」と英語で注釈が入れてあるのも、『手帖』第33章「むちのいろいろ」の記述を思わせます。ここで沼さんは、鞭の種類を細かく説明するために、いちいちアルファベットで示しています。

『続々々 裁判官の書斎』についてのメモは今回で終わりです。

これまであげてきたことは、一つ一つをとれば、どれも倉田さんと『手帖』を書いた沼正三とが同一人物であるという証拠にはなり得ません。そのことは十分に承知しているつもりです。けれども、状況証拠もこれだけ数が多いと、逆にそれを否定することはなかなかできないのではないかと、私は思います。
トイレの豊満熟女

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「死刑廃止の条件」と題する文章は、死刑廃止について論じた文章です。この中で倉田さんは、イルゼ・コッホに言及しています。

>ドイツは基本法で死刑を廃止しているが、かつてドイツの裁判所のあり方を見聞して回った頃、ミュンヘン地裁のある判事がイルゼ・コッホの事件を語った。
 イルゼはナチが政治犯を収容するためのワイマール近辺に新設したブッヒェンワルト強制収容所の所長カルル・コッホの妻だが、六年間にわたって囚人に暴虐の限りを尽くし「魔女」と呼ばれた女性だ。入墨した囚人を殺してその皮膚を剥いでブック・カバーやランプ・シェイドを作り、戦犯裁判の法廷に少なくとも十二体のなめし革が提出展示された時は失神する傍聴人が出たと言う。
 その彼女が終身刑だというから、私が仮出獄の可能性を問うと、絶対にない。脱獄を警戒するだけだ。しかし、自分としては死刑廃止に例外があってもよかったと思っていると語った(このイルゼは、一九六七年(昭和四二年)バイエルン州刑務所で自殺したそうである)。(P.292)

沼正三『手帖』でも、イルゼ・コッホについて書かれています。第125章がそのまま全部イルゼ・コッホに費やされているのです。

>女の残酷性がその握る権力に比例するという命題に従えば、ブッヒェンワルト収容所司令官夫人だったイルゼ・コッホ(雑報一一四)は、ビンツなどより、遥かに私たちの関心の対象となる存在である。(『手帖5』P.48)

  注:「雑報一一四」とあるのは誤植で、「雑報一四四」が正しい。

>イルゼが、司令官カルル・コッホの妻として、新設のブッヒェンワルト収容所−−ワイマールの北六マイルの地点に一九三七年建設された「デモクラシーの土牢」−−に赴いたのは、彼女が三十一才の時だった。(同)

>私室には人間の髑髏が飾られた。斬首後拳大に縮小乾燥させた頭蓋もあった。人間の皮膚を鞣して作った、手袋、ブック・カバー、ランプ・シェードがあった。(同P.53)

>七年間ブッヒェンワルトの解剖質で働いた一兵士は、少なくとも千人の屍体が、彼女の命で皮を剥がれ、その入墨コレクションは二百フィートのテーブルにも並べ切れまいと証言した。そして、その一部が法廷に提出されたが、それだけでも少なくとも十二体の人間のなめし革で作られていた。この時には、さすが残酷行為の見聞に慣れた法廷の中でも失神者が出たということである。(同P.54)

>彼女は戦後、戦犯裁判を受け、更に本国法廷でも審かれて有罪となったが、西独の死刑廃止のお陰で、死刑を免れ、終身刑で服役中である(追記。いったん恩赦されたが、更に殺人罪で服役中、昭和四十二年九月一日バイエルン州刑務所で自殺したと伝えられている)。(同)

どうでしょうか。『手帖』のこの章は8ページにわたるもので、その中から一部を抜き出したものですから、引用が恣意的であることは認めますが、それにしても両者の記述はとても似ていないでしょうか?

ところで、沼さん(つまり裏人格の方)がイルゼ・コッホに対してある種の“発情”をしていることは明らかです。沼正三というペンネームが、いくら「広義の創作」に基づいた仮想人格であり、その著作物がマゾヒストとしての「故意の曲解」だとしても、ナチスの大量虐殺者に対して発情するというセンスが私にはわかりません。

沼さんを深く尊敬している私ですが、この点に関しては節操がなさすぎると感じています。もちろん表人格のほうでは、別の考えを持っているはずですが。
『新潮』2009年2月号より

しろくろ骸骨さんからのご教示で、『新潮』2009年2月号(新潮社)に、沼正三についての記事が掲載されていることを知り、早速買い求めてきました。貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました。>しろくろ骸骨さん

記事は、康芳夫「『家畜人ヤプー』秘話 −−沼正三氏の氏に際し」というタイトルで、4ページのものです。末尾に(談話)とありますので、康さんの話を編集部でまとめたものでしょうか。

『ヤプー』のさまざまな動きが、康さんからの視点でコンパクトにまとまっていて、読みやすく、参考になる資料だと思います。関係者ならではの情報もチョコチョコとありました(都市出版社版の『ヤプー』は10万部以上売れたこととか、出版権を角川書店に移した理由とか)。

ここで康さんは、ほぼ完全に天野哲夫さんを沼正三として扱っています。

>沼正三の正体が作家の天野哲夫さんだという噂は「血と薔薇」に載った頃には広まっていました。その当時から、天野さんは新潮社の校閲部員でした。彼にとって、自分の正体がバレることへの恐怖はなかったんだと思うけれど、そうですねえ……「協力者」との微妙な問題がありました。(中略)倉田さん自身は自分が沼正三であることを否定しつつ、作者と交流があったことは認めたけれど、他の協力者には、今もって「絶対に名前を出さないでくれ」っていう人が多いんです。「協力者」というのは微妙な問題なんですね。(中略)英語だとジョイント・ワークとかコラボレーションというけれど、では日本語で「共同執筆」といっていいかどうかは、ぎりぎりの問題なんです。

康さんは、倉田さんや他の人の協力のもとに天野さんが『ヤプー』を書いたと言っている、と見てよいでしょう。

私は康さんとは逆に、天野さんやほかの人々の協力を得て、倉田さんが『ヤプー』正編を書いたのだと見ています(その後の過程で天野さんが正編に手を入れ、また、続編を天野さんが書いた)。原文を書くのと、そこに手を入れるのとでは、全然違うと思うからです。全体を書き直してしまうほど徹底的に手をいれるのなら別ですが、そうでない限り、原文を書いた人の人格なりセンスなりが濃厚に投影されるはずです。

このような視点から、康さんの意見につけ込む隙があるとすれば、次の二点でしょうか。

一つは、康さんが『ヤプー』作者(天野さんだとしても、倉田さんだとしても)と出会ったのは、『奇譚クラブ』への掲載が終わってかなり時間が経ってからだということ。つまり、『奇譚クラブ』への執筆については、リアルタイムで接していないのです。康さんも直接的な証拠をもっているわけではないのですね。

もう一つは、「沼さんが亡くなった後も、僕は彼の全権代理人として、ますます『家畜人ヤプー』の歴史を複雑怪奇にしていきますよ。」と述べていて、康さんが『ヤプー』と商売上の関わりをもっていることです。康さんは自ら「虚業家」と名乗っていて、かつてオリバー君を人間と猿の合いの子だと宣伝して大儲けしたことでもわかるように、大向こうを相手に堂々と嘘をつくことのできる人です。たとえ事実を彼が知っていたとしても、商売上の要請があればそちらを優先させることは明らかです。つまり、商売上関わりのある康さんの発言は、バイアスがかかっているということです。
セクシーで美しいご主人様

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「通俗小説との付き合い」より。

>推理小説にも、一時は熱中したが、SFを知ってから余り読まない。(中略)この種広義のSFやミステリーはいわばオタク小説である。それが人生の現実と遊離し、社会を総体的に捉えていない点に物足りなさ・・大衆小説全体への不満とも言えようが・・を感じる向きが、松本清張の社会派ミステリーを歓迎したのだろうが、(中略)私にはコウスティング効果がなかった。(中略)一つには、人間関係のどろどろには裁判記録で食傷していて(中略)、夢とロマンの世界に遊びたい気持ちのほうが強かったせいもあろう。(P.252)

コウスティングというのは、息抜き骨休めのこと。倉田さんにとって読書は、法律書や裁判資料は別として、基本的にコウスティングと位置づけられています。

したがって、「人生の現実と遊離し」ても、「夢とロマンの世界に遊」ばせてくれるような本を好む、と言っているんですね。

これはそのまま『家畜人ヤプー』を書いた動機でもあると、倉田=沼説からは読めるわけです。

二つ前のに似たアングルですが

倉田卓次『続々々 裁判官の書斎』(勁草書房、1995年)

「恐竜の名前をめぐって」より。

>
−− ジャパン・バッシングで評判の最近作が『ライジング・サン』。これも映画化されたようですが……
== これは映画を見る気も原作を読む気もしないね。日本人の悪口が書いてあると判ってるのに……そこまで自虐的にはなれない。(P.235)

「『続々々 裁判官の書斎』 (4)」で触れたように、これも表人格の意見だと思います。

ただ、日本人の悪口が書いてあるということだけで見ないと、短絡的ともいえる意見を述べている点や、「自虐的」という言葉を使っている点、自身が『家畜人ヤプー』の作者だと言われたことについて、やや自意識過剰になっているようにも感じられます。

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