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私の体で作ったチョコ、おいしいわよ
一日遅れのバレンタインチョコ。
でもいいでしょ、材料を仕込んだのは昨日なんだから。

ただ、食べる
この写真にはなにか静かな迫力とでもいうべき雰囲気を感じます。
男が主人である女性の排泄物を食べている。
ただそれだけの写真です。
私たちはつい、そこに何らかの意味を見つけようとしたり後からつけ加えようとしてしまいます。
「なぜうんこを食べているのだろう?」などと。
しかし、そんな詮索は余計なことなのかもしれません。
ただ、食べている。
それだけ。
それ以上でも以下でもありません。
それだけで完結した世界がそこにあります。

男ってみんな食べたがるわね
ほら、出てきたよ。
食べたい?
食べたいよね。
お前、大好きだもんね、私のうんこ。

私のうんこをお食べ
棗さまのブログに書かれていた、

>うんこ食べさせられて最後に「ありがとうございました」って言うんだから、一般人にはマゾって一生理解出来ないでしょうね。

という言葉を読んで、しみじみと感じてしまいました。
本当にその通りですよね〜。

考えてみれば、うんこを食べさせられるなんて、そうとうひどいことをされているわけです。
人間の尊厳を完全に踏みにじられて・・・。
それでもなおかつ「ありがとうございました」って言うんだから、どれだけ卑屈なんだよ、と。

でも、奴隷の立場になってみれば、崇拝する女性の前ではどれだけ卑屈になっても、まだ足りないと思ってしまうんですよね。

ご褒美? お仕置き?
奴隷はご主人様の言葉を100%正面から受け止める、
ということに気づいたら、まだほかにも見えてきたことがありました。

ご褒美とお仕置きの違いです。
Femdom的主従関係においては、同じ行為がご褒美になったりお仕置きになったりします。
便器奉仕、足舐め、鞭打ち、ビンタなどなど、ほとんどの行為は両義的な性格をもっています。

ある行為、ビンタならビンタがご褒美とお仕置きのどちらであるかを決めるものは何でしょうか?

答えは簡単。
女性のお考え一つです。
女性がご褒美といえばそれはご褒美、お仕置きと言えば絶対にお仕置きなのです。

奴隷はその言葉を、そのまま100%正面から受け止めなければなりません。

「ご褒美におビンタをあげようね」
バシッ!
「ありがとうございます〜」
感じるのは、甘く、切なく、嬉しい痛みです。

「お仕置きよ!」
バシッ!
「も、申し訳ありませんでしたっ」
つらく、情けなく、苦しい痛みです。

おしっこでもそうです。
ご褒美としていただくおしっこを、奴隷はまろやかな美味として、喜びをもって味わうはずです。
これに対してお仕置きとして与えられるおしっこは、排泄物そのものとして苦痛をもって味わわねばなりません。

奴隷の感じ方そのものを、言葉一つで変えてしまうことができる。
支配的女性の言葉には、それだけの力があります。

今年初めてのうんこ
元旦の餅で押し出す去年ぐそ

24時間365日奴隷は奴隷
「奴隷に正月はないのよ」
「はい」

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