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感謝をこめて
SMのDVDとか、その類のモノは殆ど観ないのだけど
最近偶々機会があったの。

男に足を舐めさせながら、
「いい匂い?」
「はい、いい匂いです」
「もっと鼻をクンクンならしなさい」
「はい」
「おいしいか?」
「はい、美味しいです」
「もっと美味しそうに舐めな」
「はい」
「もっと美味しいですって言いなさい」
「はい、美味しいです」
なんてやってる作品を
かなりシラケながら観ていたわ。

お尻の場面でも全く同じような台詞を繰り返していた。

演者さんが下手なせいもあるけど、
何をしたいのか全く分からなかったわ。
クオリティー以前の次元が低すぎ!

単に足フェチや匂いフェチの人にとってはあれでも良いのかしらね?

でも、女王様と奴隷という設定を謳っている作品にしては
あまりにも中身が無さ過ぎ。

予定調和丸出しのやりとりに呆れながら眺めていた。

やってる事の全てが、
罰なのか御褒美なのかがよく分からない。

与え方や女性の台詞が中途半端だから
男の方も苦痛なのか悦んでいるのかも分からないのよね。

まあ、今回その作品の感想はどうでもいい事なのだけれど。

あまりにも退屈だったから、
映像を観ながらマッサージをさせていた奴隷達に思わず訊いてしまったの。

「お前達、これどう思う?」
奴隷達はシラケていた私の雰囲気を察知しているし、
突然そんな事を訊かれても余計な事を言えるわけがないわよね(笑)。

答えに困っている奴隷達に
「私の足なら美味しいなんて当たり前の事よね?」
と言うと
「はい、勿論です」
とすぐに答えた。

私は自分の排泄物や分泌物を奴隷達に与える場合に
罰として与えた事は一度もない。

「美味しいか?」
なんていう言葉は
「私の事を好きか?」
って訊いてるのと一緒の事。

だから罰として与えながら無理矢理に
「ほら!美味しいでしょ!美味しいって言いなさい」
なんてやってるのを見ると
「私の事を好きって言いなさい」
って言ってるのと同じに見えてしまうの。

好きなのも美味しいのも当たり前の事だけど、
そんな事を口に出すのは無礼な事として
分をわきまえさせるためにもむしろ言わせない言葉を
わざわざ何度も言わせてる。

S もM も本当に色々な形があるものね、と改めて感じたわ。

私の場合は奴隷達に、
自分は私の足を舐めさせて貰える程の特別な存在として
私から認めてもらってるという事に悦びだけじゃなく
誇りを持たせるように教育しているわ。

だから足舐めはその確認のための挨拶みたいなものね。

「舐めてもいいわよ!」
というのは、
「お前のようなゴミみたいな物でも、私の奴隷として使ってあげようか」
という私の意思表示。

だから奴隷は心から感謝して、私に対する忠誠心、崇拝心を最大限に示しながら舐めるのが当然の礼儀。

美味しいです。なんて味の感想を言っていられるような身分じゃない。

最後に頭を踏みつけてやるのも、
私がそれを全て承知してやったという合図のようなもの。

奴隷達は感謝の気持ちを出来る限り私に伝えるのが当たり前。

そして奴隷にとってはゴミから奴隷に昇格出来る事はとても大きな事なの!

但し私と奴隷の身分の違いは無限大だから、
私からすればゴミも奴隷もいつ取り換えてもいい位に似たような物だけどね(笑!

足をお舐め!
良いテキストが浮かばなかったのでアップしていなかったのですが、お気に入りの画像を紹介します。

「足をお舐め!」

足下に土下座した奴隷が、ふと見上げるとそこには・・・。
こんな風におみ足を突き出されたら、もう何も考えられなくなってしまいます。

豊満なお体も、おみ足も、とってもセクシーですね。

そういえば、「ド○ターX」というテレビドラマを見ました。
そこそこ面白く見ていますが、主演の米○涼子さん、私は性的魅力を全く感じません。
顔も骨っぽいし、体もガリガリです。
足なんか、太ももが細すぎて、私の感想を正直にいえば、気持ち悪いです。
世間的にはスタイル抜群という評価のようですが、本当に皆さん、ああいうスタイルが良いんですかねえ。

私にとっては、この写真のようなおみ足の方がずっとずっと“美脚”です。

世間とのギャップを感じます。

三条友美
三条友美さんが自身のツイッターに、三条版『家畜人ヤプー』を描いてみたいとお書きになっています。

三条さんの『ヤプー』でしたら、私もぜひ読んでみたいです。想像するだけでワクワクします。乗ってくれる出版社はないかと呼びかけていらっしゃるので、リツイート代わりにここに転載します。

>
ここから話は変わります。ずっとやりたいなあと思ってた企画でかの「家畜人ヤプー」を現代におきかえて描いてみたい!というのがあります。おもいっきり翻案して。石森はSF志向にいっちゃったし、江川のヤプーは見るも無残に手抜きだった。どこかでやらせてくれないだろうか?
From: tomomisanjo at: 2012/10/31 09:51:19 JST

その際、奇形のものはなるべくださないようにしたい。あれは現代では体の奇形ではなく精神の奇形として描くべきなのだ。あくまでドマゾという視点の、これぞ真の「家畜人ヤプー」というのを描いてみたい。
From: tomomisanjo at: 2012/10/31 09:53:52 JST

というわけで、三条版ヤプーを描かせてみよう!という出版社さんは是非ご連絡を。
From: tomomisanjo at: 2012/10/31 09:57:42 JST

ヤプーの行為は奇想天外、荒唐無稽、到底実現不可能じゃなく、実は今の風俗やプレイに形を変えているんです。原作の、あの細々したダジャレのSF風解説を入れるより、現代の風俗や超マニアが現実にやってるプレイを挿入しても面白いだろうなって思ってます。とにかくヤプーと現代を繋げたいんです。
From: tomomisanjo at: 2012/10/31 10:12:44 JST

三条さんのツイッターより
手帖月報1-1
ほとんど需要は無いと思いますが、潮出版社版『ある夢想家の手帖から』の月報を紹介しようと思います。

沼正三『ある夢想家の手帖から』は、これまでに都市出版社、ニトリア書房、潮出版社、太田出版から出版されています。

比較的入手しやすいのは1998年に太田出版から発行された『集成 ある夢想家の手帖から』上下本ですが、これも現在は絶版になっているようです。しかもこの「集成」はとても不満足な内容のもので、実質は「集成」ではなく単なる「抜粋」です(それでも出ただけありがたいですが)。

決定版はなんといっても、1975年から76年にかけて潮出版社から出版された全6巻のものですが、現在入手困難で古書店でも高値がついています。

「沼正三関連書籍リスト」

潮出版社版の本体も入手困難ですから、ましてその月報(しおり)は、志ある人の目にも触れる機会は少ないのではないでしょうか。

しかし、この月報の内容はとても面白いものですし、執筆者として選ばれた顔ぶれだけを見ていても、当時の沼正三をめぐる状況を垣間見ることができます。

ひとつ問題は著作権です。これについてはこのように考えました。この月報に掲載された文章は、執筆者の単行本などに収録される可能性も少なく、したがってこのまま埋もれてしまう可能性が高いものと思われます。それはあまりにも惜しく、ここでこのような形で紹介することは執筆者の意図にも適うものではないかと(勝手に)想像しました。しかし、著作権に配慮して可読性ぎりぎりの精度の画像の掲載のみにします。

このような考えからの紹介ですので、執筆者の権利を害する意図は毛頭なく、権利者から「掲載は困る」とのご一報があればただちに削除いたします。どうかご理解くださいますようお願いします。

ペンネームの由来については、『手帖』本文で沼正三自身が述べています。

 しおり
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 『ある夢想家の手帖から1金髪のドミナ』(1975.12.25、潮出版社)

 ●『ある夢想家の手帖から』刊行に寄せて(松山俊太郎)
 ●美味と毒素との融合(田中美代子)
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松山俊太郎さんは、インド学者、幻想文学研究家。ウィキペディアから引いておきます。

>略歴
明治時代の茶人・松山吟松庵の孫として東京市芝区三田綱町(現在の東京都港区三田)に生まれる。両親は開業医。1943年、東京府立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)入学。1945年、趣味の手榴弾の分解作業中に爆発をおこし、左手の手首から先を失う。 留年と浪人を経て、1951年、東京大学文科2類(現在の文科3類に相当)に入学。同級生に阿部良雄や石堂淑朗、種村季弘、吉田喜重などがいた。1953年、文学部印度哲学科に進学し、サンスクリット文学(サンスクリット語)を専攻。同大学院修士課程(印度哲学専攻)修了。 サンスクリット学者として蓮を研究。その研究の一端は、『蓮と法華経-その精神と形成史を語る-』(第三文明社)として発表されている。 また、ボードレール『悪の華』原書の初版および再版を日本でただ一人所有しているなど稀覯書の蒐集家としても知られ、小栗虫太郎や夢野久作など、戦前の探偵小説の初版本等も所有している。 著書に『球体感覚御開帳』(冥草舎)、『インドを語る』(白順社)など。訳書に『タントラ』(平凡社)などがある。澁澤龍彦との交遊関係は有名。巌谷國士・種村季弘・出口裕弘との共著に『澁澤龍彦を語る』(河出書房新社)。

>近年の活動
現在、西新宿の常円寺において、上杉清文の「福神研究所」主催による『法華経講義』と題した公開連続講義を続けている。講義はすでに7年間続けられており、いずれ著作にまとめられる予定とのこと。
(ウィキペディアより)

私は今まで存じ上げませんでしたが、とても魅力的な方のようですね。

月報の文章はちょっと取っつきづらいですが、沼正三というペンネームについて、「正三」は大正三年生まれを意味しているのではないかと想像していて、なかなか面白いですね。実際には、倉田卓次さんは1922(大正11)年生まれ、天野哲夫さんは1926(大正15)年生まれですから、この想像ははずれていることになりますが、こうして想像してみること自体が面白いです。

ペンネームの由来については、『手帖』本文で沼正三自身が述べています。

田中美代子さんは、三島由紀夫についての評論を書いている人のようです。

>田中美代子(たなか・みよこ)
文芸評論家 
1936年、秩父市に生れる。早稲田大学時代、パスカルなどフランスのモラリスト文学に惹かれ、文芸批評を志す。1971年より5年間、三島由紀夫全集を編集。著書『ロマン主義者は悪党か』『天使の幾何学』他。
(三島由紀夫文学館サイトより)

この文章の中では、前半の、

>観念というものが真の力をもつためには、それ自体の生理、それ自体の肉感をそなえていなければならぬ。

というフレーズが気に入りました。後半の差別云々については、私には逆説を弄んでいるように見えます。文章の裏には、おそらくこのころ盛んに行われたヒステリックな差別反対運動に対する抵抗感があるような気がします。そうした運動の標的にされることから身をかわしつつ、沼正三を自身の側に惹きつけようと、「差別」という語を故意に抽象的なレベルに引き上げて使っていると思いました。

したがって、「沼正三氏は、むろん堂々たる差別擁護論者である」というフレーズも、かなり頭の中で変換して読まなければならないのではないでしょうか。

沼正三の生理・身体の中にはマゾヒズムという差別の根がある。それを無いものと否定することはできない。巷の差別反対論者はいわゆる「言葉狩り」などをして差違そのものが無いかのように主張するが、沼はそうではなく自身の内にあるマゾヒズムという生理を、堂々と認めることから出発しているのだ。

・・・とそういうことではないかと思います。

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手帖月報1-4
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