
私は変態ですが、同時にかなりの良識派でもあると自分では思っています。
ご主人様とのSM関係も、健全な社会的規範の中でのみ許されるものと考えています。
ざっくばらんに言えば、一般社会に悪影響を与えない形で行われる限りにおいて許される、
と思うのです。
例えば、繁華街の真ん中でご主人様から「裸になって土下座しろ」と命令されたとします。
私はその命令に従うべきでしょうか?
「恥ずかしさ」は忠誠心で乗り越えたとします。
「知り合いに見られるかもしれない」という心配も、仮に無いとしてみましょう。
それでも私は、その命令には従わないと思います。
というのは、一般社会に迷惑をかけることになるからです。
健全な大人に嫌悪感を与えるだけでなく、もし子どもが見ていたら、
場合によっては取り返しのつかない精神的ショックを与えることにもなりかねません。
主従関係はあくまでも二人の内部の関係にとどめるべきで、
外部に悪い影響を及ぼすべきではない、というのが私のSM観です。
なんという良識的でつまらない意見なのでしょうか。
自分でもそう思いますが、ここは私としては譲れないポイントです。
もし自分の主人がそういう命令をしたら、
私のその人に対する崇拝は揺らいでしまうと思います。
端的にいえば、幻滅すると思います。
「ああ、この人は社会的に成熟していないんだな」と思うでしょうし、
そう思ったら、それ以上その人を崇拝することはできないでしょうね。
ただし、虚構の世界では大いに有りです。
私がそういう場面を小説で書いたとしたら、奴隷はきっと命令に従うことでしょう。
Homer
ゴミムシさんこんにちわ。
今回はオープンでコメントさせて下さい^^
脳内妄想はどんどん突っ走りますが、リアル生活の主従関係における線引きをどこで行うかは難しいですよね。崇拝するに値する良識的なご主人様からでさえも、何かの試金石としての命令、ギリギリのラインを越えるための快楽やスリルの追求。人それぞれ、様々な世界観、SM論、ウンチクなどが存在しています。
ただ、野外調教という現場は、なかなかビミョーな領域とも言えます。
>主従関係はあくまでも二人の内部の関係にとどめるべきで、
>外部に悪い影響を及ぼすべきではない、というのが私のSM観です。
まったく同感なのですが、その「外部」の視点で、そんな光景を見てみたいという気もします。
子どもには悪影響でも、僕にはいいことだったりして^^
一方で、自分でも「命令されて恥ずかしい思いをしたい」という願望の中には、反社会的な側面もあるという、まさにその点があるがために、さらに快楽が増幅されているという面も見のがせない。
しかし、正しい変態であるための良識を持ちたいとは思います。そして品格も。
今回はオープンでコメントさせて下さい^^
脳内妄想はどんどん突っ走りますが、リアル生活の主従関係における線引きをどこで行うかは難しいですよね。崇拝するに値する良識的なご主人様からでさえも、何かの試金石としての命令、ギリギリのラインを越えるための快楽やスリルの追求。人それぞれ、様々な世界観、SM論、ウンチクなどが存在しています。
ただ、野外調教という現場は、なかなかビミョーな領域とも言えます。
>主従関係はあくまでも二人の内部の関係にとどめるべきで、
>外部に悪い影響を及ぼすべきではない、というのが私のSM観です。
まったく同感なのですが、その「外部」の視点で、そんな光景を見てみたいという気もします。
子どもには悪影響でも、僕にはいいことだったりして^^
一方で、自分でも「命令されて恥ずかしい思いをしたい」という願望の中には、反社会的な側面もあるという、まさにその点があるがために、さらに快楽が増幅されているという面も見のがせない。
しかし、正しい変態であるための良識を持ちたいとは思います。そして品格も。
ゴミムシ
Homerさん
コメントありがとうございます。
野外調教、私も憧れです(^_^;)。
前に書いたように、路上飲尿の経験者ですから(07.10.07、「道端で飲尿」)。
もちろん道行く人には知られないようにやりましたが。
変態に限らず、性的なことというのは、社会規範とは全く別の領域に属するものですから、どうしても反社会的な要素を抱え込むわけですね。
したがって、社会とどう折り合いをつけるかがいつも問題になるんですね。
ノーマルな人でも、電車内で(ノーマルに)いちゃついているカップルを見て嫌悪感を催したりするわけです。
まして変態の場合は・・・。
>崇拝するに値する良識的なご主人様からでさえも、何かの試金石としての命令、ギリギリのラインを越えるための快楽やスリルの追求。
はい、よくわかります。沼正三も書いてましたが、ある意味でその究極の形が「犯罪を命じられること」ですね。「あいつを殺しなさい」。
犯罪というモロに反社会的な行為を命ぜられることで、社会を取るか、女王様を取るかという究極の二者択一を迫られることになるわけです。
コメントありがとうございます。
野外調教、私も憧れです(^_^;)。
前に書いたように、路上飲尿の経験者ですから(07.10.07、「道端で飲尿」)。
もちろん道行く人には知られないようにやりましたが。
変態に限らず、性的なことというのは、社会規範とは全く別の領域に属するものですから、どうしても反社会的な要素を抱え込むわけですね。
したがって、社会とどう折り合いをつけるかがいつも問題になるんですね。
ノーマルな人でも、電車内で(ノーマルに)いちゃついているカップルを見て嫌悪感を催したりするわけです。
まして変態の場合は・・・。
>崇拝するに値する良識的なご主人様からでさえも、何かの試金石としての命令、ギリギリのラインを越えるための快楽やスリルの追求。
はい、よくわかります。沼正三も書いてましたが、ある意味でその究極の形が「犯罪を命じられること」ですね。「あいつを殺しなさい」。
犯罪というモロに反社会的な行為を命ぜられることで、社会を取るか、女王様を取るかという究極の二者択一を迫られることになるわけです。
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