
ネットで見つけたお気に入りの画像を保存しておくことは、誰でもやっていると思います。
保存した画像を見ていて、「この画像とこの画像とは同じ女性だ。あ、こっちにも同じ女性の画像が・・・」と気づくようなことはありませんか?
私にはときどきあるんです。
意識して集めたわけではないのですが、自然と集まってしまう。
同じ女性だとは気がつかないまま、その都度その都度、魅力を感じて保存しているんでしょうね。
一つ前に貼った写真の左側の豊満美人も、そうやって集まってしまった方の一人です。
お名前は、Samantha Anderson。
「Samantha 38G」という書き方をすることが多いようですが、
「38G」というのは、バスト38インチGカップという意味のようです。
すごい巨乳ですね。
私、巨乳は好きですが、巨乳フェチではありません。
巨乳の女性は豊満なことが多いので、魅力を感じる女性に巨乳の人は多いのですが、
大きくない胸にも魅力を感じます。
私の場合、自己分析ですが、顔の肉づきのよい女性を美人と感じる傾向があるようです。
豊頬と顎の線の柔らかさ(二重顎含む)は、私にとってはセクシーアイテムです。
この方、いつどこで拝見しても、お美しく、セクシーです。
私にとって憧れの女神の一人です。
Samanthaさまがお相手だったら私の妄想は、
厳しい主従関係というよりも、
身の回りのお世話と性の道具として使っていただく方向に広がります。
というわけで、今回は Samanthaさまの画像を何点か紹介します。
なお、拙ブログ過去エントリーでも一度登場しています。
http://gomimusi.dtiblog.com/blog-entry-315.html

二人の豊満美女の旅行にお供しました。
もちろん私は荷物持ち兼召使いとしてです。
朝早くから夜遅くまで、身の回りのお世話にこき使っていただきました。
お二人の楽しそうなお顔を見ていると、こちらまで幸せな気持になります。
お二人は本当によく食べ、よくお飲みになります。
旅行の期間中、お下のご用はほとんど私の口をお使いになりました。
おかげで私はいつも満腹で、食事ものどを通りませんでした。
砂浜でフラフープに興じているお姿は、本当にお美しく、
まるで天女のようでした。

一つ前のエントリーに青犬さんからコメントをいただきました。
>一度Bタイプにされてしまうと残ったAタイプの部分に罪悪感を持つようになってしまいます。
>もしできることならマゾヒストではない自分としてお仕えし純粋な苦痛を享受できればと。
>こんな思いもマゾヒストゆえのジレンマなのででしょうね。
なんとも切なくなるコメントです。
「Aタイプの部分に罪悪感を持つ」というのは要するに、「自分が快楽を感じることについて罪悪感をもつ」ということでしょう。
「純粋な苦痛を享受できれば」とは、「快楽のない苦痛を受けたい」ということです。
なぜそんなことを考えるかというと、それがご主人様の望みだろうと考えているからです。
青犬さんにくらべたらはるかに浅いレベルではありますが、そのようなメンタリティは私にも覚えがあります。
「私が(精神的に)苦しむことで女性が喜んでくださるなら、もっと苦しみたい」
そう思ったことがあります。
これは実は大変なことです。
精神的に苦しむというところがポイントです。
例えば女性が奴隷に小便を飲ませるとしましょう。
奴隷が本当にそのことを苦痛に感じていれば、それは女性のための行為になります。
ところが、奴隷が少しでもそのことに喜びを感じているならば、行為の意味は一瞬にして逆転して、女性が奴隷のためにするものになってしまうのです。
そうならないためには、「わずかの快楽も感じることのない苦痛を享受すること」以外にはありません。
それを望む青犬さんのメンタリティは、マゾヒストとしてとても純粋で美しいと思います。
ところで、ここに一つの疑問が生じます。
「快楽のない苦痛」を「望む」というのは矛盾ではないか、と。
望んでいるということは、それによってある種の精神的な充足を得るということにほかなりません。
言い換えれば、それは「快楽」の一種なのです。
「快楽のない苦痛」を受けることが「快楽」になるという矛盾。
それは、マゾ的妄想や実践のあちこちに顔を出す普遍的な矛盾です。
よく考えてみると、「苦痛=快楽」であるというマゾヒズムの根本原理から発していることがわかります。
これを「マゾヒズム・ジレンマ」と名づけてしまいましょう。
二つ前のエントリーで触れた、マゾヒストが、
行為レベルで支配されたがるのは「苦痛」原理のあらわれ、
関係レベルで支配したがるのは「快楽」原理のあらわれ、
と考えることができるでしょう。
「快楽のない苦痛」を受けることが「快楽」である。
この命題について、一つだけ注意を喚起したいのは、
この命題に出てくる最初の「快楽」と後の「快楽」とはステージが違う、
ということです。
このことについてはいずれまた。

続きです。
素晴らしい出会いによって、原エゴマゾからBタイプに目覚めたマゾヒストがいるとしましょう。
彼が何らかの事情によって女性と別れた場合、彼のマゾヒズムはどうなるのでしょうか?
実際には100%のAタイプとか100%のBタイプということはないと思いますので、Bタイプに目覚めたとはいっても「概ねBタイプになったが若干Aタイプが残っている」というようなニュアンスで考えるべきでしょう。
そうすると、おそらくおさえ込んでいた自己のファンタジーが、復活してくるのではないかと思われます。
実は私はこのタイプでした。
胸を張れるような立派なマゾヒストでは全くありませんでしたが、素敵な女性と出会うことで、自分の主観の中ではBタイプへの目覚めがありました。
野良犬に戻ったとき、私の中でかつてのファンタジーが復活しました。
具体的にいえば、その方の前では放棄していた便器願望などが、再びむくむくと復活してきたのです。
Bタイプのマゾヒストが別の女性と出会ったとき、再びAタイプから出発し直すのか、はじめからBタイプとして女性の前に跪くことになるのかは、わかりません。
私は二度目の出会いを経験していませんので、これは全くの未知数です。
ところで、経験豊富な女性が、ノーマルで未熟な若い男の子を自分好みの奴隷に仕立てていく、というようなことは、実際にあるのでしょうか?
小説などではよくありますが、実際のところはどうなのか、これも私にはわかりません。
もしあるとすれば、という仮定の話ですが、この場合は、マゾヒストとしての誕生と決定的な「出会い」とが同時に起きているということになります。
例外的に、原エゴマゾを経ることなく、はじめからBタイプとして生まれているわけです。

マゾヒストは誰でも自分だけの欲望の形、ファンタジーの形をもっています。
人間の性が多形的なものである以上、ファンタジーの形は人それぞれです。
ファンタジーとは、個人的な性的欲望にほかなりませんから、それが自分にとって都合のいい形に形成されるのはむしろ当然です。
エゴマゾという言葉がありますが、全てのマゾヒストは、広い意味でエゴマゾとして誕生する、ということになります。
この段階のエゴマゾを「原エゴマゾ」と名づけたいと思います。
具体的に他人と関わらないならば、それはそれで完結していて、何も問題はありません。
夢想家が自分の夢想の中で遊んでいるというだけのことですから。
しかし、実際に女主人を求めるなどして、他人と関わろうとすると、そこに問題が生じます。
女性のファンタジーとの間に齟齬を生ずるからです。
そのときマゾヒストはどうするのでしょうか?
あくまで自己のファンタジーに固執し、相手を自分の形に引っ張り込もうとするマゾヒストが、実は多いと思います。(Aタイプ)
このAタイプを、「自分のファンタジーを相手のファンタジーよりも優先させるマゾヒスト」という意味で、「狭義のエゴマゾ」と呼ぶことができるでしょう。
原エゴマゾと狭義のエゴマゾとは連続しています。
私の感覚では、マゾヒストの99.9%はこのタイプです。
この場合、「行為」の上では女性に支配されながら、二人の「関係」は男が支配していることになります。
男がAタイプである場合、二人の関係は、つねに内部にこうした矛盾を抱え込むことになります。
ちなみに、「行為」「関係」という語は、以前にネットのどこかで読んで「なるほど」と思ったので、私も使うようになりました。
これに対して、自己のファンタジーを放棄し、女性のファンタジーに没入しようとするタイプのマゾヒストがいます。(Bタイプ)
数としては極めて少ないと思います。
原エゴマゾとBタイプとのあいだには、ある種の断絶があります。
これを「目覚め」と呼んでもいいかもしれません。
支配的女性たちは、Bタイプを求めていることが多いにもかかわらず、その数は極めて少ないのです。
そこに多くの支配的女性たちの悩みやストレスがあるように見受けられます。
Bタイプのマゾヒストは、原エゴマゾとして生まれ、後に目覚めてBタイプに変わったわけです。
彼を変えたきっかけとは、いったい何なのでしょうか?
それは「出会い」以外にないと、私は最近思うようになりました。
つまり、自己のファンタジーよりも相手のファンタジーを優先させたくなるほど魅力的な女性が現れることが、Bタイプ誕生の絶対条件になっているように思われるのです。
「出会い」なくして、Bタイプのマゾヒストが生まれることはない。
そう考えてくると、ここからいくつか見えてくることがあります。
一つは、実践経験のないマゾヒストは、まず間違いなくエゴマゾだということです。
女性の側からすると、マゾヒストを好みの奴隷にするためには、エゴマゾからBタイプに変える「手続き」が必要になるのです。
はじめからBタイプはいないわけですから。
そしてそれは、そう簡単なことではないと思われます。
けれども逆に、「それが面白い」という人もいるかもしれません。
もう一つは、マゾヒストが相手を探す場合、プレイの種目中心に探しても、そこから深みのある主従関係に発展する可能性は極めて少ないということです。
例えば「聖水を飲ませてくれる女性」を掲示板で募集するなどしても、それで見つかるのは「聖水を飲ませてくれる女性」に過ぎません。
そこではマゾヒストのファンタジーはそのまま維持されるのであって、自己のファンタジー優先の原理は少しも揺らぐことはありません。
そのように考えることで、かなり問題点が整理されるのではないでしょうか。

きわめて個人的な話になりますが、
私にとって「理想の体型」とは、
たった一つのスタイルに集約されるのではなく、
ゲームでいうマルチエンディングのように、
到達点が複数あるという感じなのです。
二つ前のエントリー「犬におなり」の女性なども、
そうした「理想の体型」のお一人です。
ここに掲げた藤堂カレンさんは、
ご覧のように圧倒的な肉体の持ち主であり、
これまた私にとって「理想の体型」です。
カレンさんのお体は、まぎれもなく神から与えられたものでしょう。
ジャムズのブログや掲示板で見るたびに、
「こんな方がそばにいたら、どうなってしまうんだろう?」
と考えてしまいます。
きっと一瞬で悩殺されて、
恋の奴隷になって、
悩みに悩んで、
告白して、
失恋して、
自殺してしまうかもしれません。
私のマゾヒズムは、
相手によって形を変える変幻自在のもので(節操がないとも言います、ハイ)、
もしカレンさんがお相手だったら、
厳しい主従関係というよりも、
恋の奴隷とか性の奴隷といった感じの形を妄想します。
もっとも「相手によって」といっても、
「お優しそうな方だなあ」と写真を見て勝手に判断したに過ぎません。
実際のカレンさんは、ものすごく厳しいSだったりして。
そうならそうで、厳しい奴隷としてお仕えしたいと思いますが。
跪いて、ギュッと抱きしめてみたい。
ジャムズのDVD欲しくなっちゃっいました。

彼女の全身を舐めていると、突然彼女が言いました。
「ちょっと待って。面白いこと思いついたわ」
「?」
「さっきコンビニで買ってきたおにぎり持ってきて」
ぼくはベッドから起きて、おにぎりを彼女に渡しました。
彼女は、白いご飯を肉団子ぐらいの大きさにちぎると、お尻を突き出すように開いて、お尻の穴に押しつけました。
そして、そのままお尻を閉じて、その上からパンツを穿きました。
「これでよし。じゃ、さっきの続きね」
「はい」
ぼくは彼女の足を舐め始めました。
一生懸命に舐めていたので、どのぐらいの時間が経ったのかわかりません。
そう、おそらく10分ほどではないかと思います。
「もういいわ」
「はい」
「床にひざまずいて」
床にひざまずきます。
彼女は背中を向けると、パンツを下ろして、お尻を突き出しました。
「さあ、食べるのよ」
お尻の頬と頬のあいだには、さっきの白いご飯が覗いています。
なんてエッチな光景でしょう。
ぼくはカーッと頭に血がのぼり、お尻に顔を埋めました。
ご飯は彼女のお尻でほんのりと蒸れていました。
ほんのわずか、ツーンといい香りがしています。
夢中になっていただきました。
「おいしかった?」
「・・・はい、とてもおいしかったです」
「ふふふ。じゃあ、おかわりをあげるわね」
「ありがとうございます」
またご飯をお尻に挟みます。
私は床に正座したままじっと待ちます。
今度は短い時間・・・たぶん1分ほどで“蒸らし”を終えました。
「お食べ」
「はい」
するとどうでしょう、今度はご飯から異臭が。
体臭や汗の香りとは違うにおいです。
はっきりいえば、便臭です。
「ふふふ。おならしたのよ。今度の味つけはどうかしら?」
ぼくの心はズタズタ、メロメロにされてしまいました。
もう何がなんだかわからないまま夢中でいただきました。
「どうだった? 私の特製ご飯」
「最高でした。こんなにおいしいご飯は、生まれて初めて食べました」
「ばかねえ。また気が向いたら食べさせてあげるわ」
「幸せです」
彼女はこれを「お尻ご飯」と名づけました。
別の日に彼女は、ご飯のかわりに食パンを使った「お尻パン」をご馳走してくれました。
これも最高においしかったです。
彼女はすっかり面白がって、次から次へと“フェロモン料理”を開発していきました。
パンをお尻ではなく前に当てて蒸らした「パンプキン」。
パンをロール状に巻いて中に入れた「パンポン」。
靴を使った料理は「パンプス」と名づけられましたが、これには二種類あります。
パンを靴の中敷き代わりに敷いた「パンプス1」。
中敷きではなくつま先部分に詰めた「パンプス2」。
「パンプス」をご馳走になったのは、夏の暑い日でした。
ありがたいことに彼女は、家を出るときに準備をしてくださったのです。
靴にパンをセットし、素足でお履きになり・・・。
その日は、ショッピングをしたり食事をしたりして、半日あちこち歩き回ったあとでホテルに入りました。
夏場のことでしたので、とても濃厚な味つけになっていました。
私は(今まででも十分にそうでしたが)ますます彼女の虜になりました。
「こんどはジャム・パンプキンやカレーパンを食べさせようかな」
なんて、彼女は恐ろしいことを言っています。
でも、彼女の美しい笑顔を見ていると、私には逆らうことなどできそうにありません。








